主宰、坂田が客演させて頂きました、山口県の演劇ユニット「Unaduki Colony」主催、舞台「オーバチュア」が無事終わりました!
山口と広島の役者がコラボし、またフルートと尺八の演奏者お二人を招いて音楽と演劇がコラボする挑戦的な試み。
登場人物は新聞記者のセオ、コハクサーカス一座のスターである空中ブランコ乗りのイチジョウ、猛獣使いのトモエの3人。
物語は、セオが書いた記事に関して上司に説教垂れられる所からスタート。熱意があるものの記者として伝えたい事が紙面に載せられないジレンマを抱え、モヤモヤする日々。
そんな折、同僚から息抜きにと1枚のチケットを受け取る。サーカスのチケットを。
これがセオとサーカスの2人と出逢いをもたらすきっかけとなる。
ブランコ乗りのイチジョウはコハクサーカスのスターとして人気があった。だが、演技中の自己で落下、骨折だけで済んだが、気持ちには癒える事のない傷を負ってしまう。
猛獣使いのトモエは、相棒だった虎のアンバールを失う。最も信頼していた友の死から、なかなか立ち直れずにいた。
セオは取材を通じて、華やかな舞台の裏側にある一人の人間である姿を目の当たりにしていった。
イチジョウはスターであり続ける苦悩、事故の恐怖から大技へのチャレンジを敢えてせずに無難な技でやり過ごす事への葛藤。
トモエは相棒の死を言い訳に、新たな相棒である二匹のクマを迎えても、自身には何も出来ない、何もないと呟く。
お互いやり場のない憤りや悔しさ、哀しさ、心細さが溢れ、ぶつかり合いになる。
「昔の栄光を振りかざして干からびていくばかりですね。」
「トラが死んだせいにすんなよ!」
そんな二人を見つめるセオ。
やがてセオは2人の再帰を願い、記者としてそれを後押ししたいと奮起した。
しかし、セオはまたもや辛辣な上司の言葉を浴びる事になる。議員のスキャンダルを取り上げる為、サーカスの特集は後回しだと告げられる。憤慨し、必死の説得をするも、舞い込んだ特ダネこそが社会が必要な情報であり、芸術や文化は二の次、曲芸やファンファーレが何の役に立つとけんもほろろに突っぱねられる。
物語の終盤。トモエの復活ショーが、イチジョウの三回転宙返りが書かれた号外が舞う。同僚の記者による活版印刷所の手作り新聞によるものだった。思わぬ形だがセオの思いはイチジョウやトモエに、届いた。
オーバチュア、演奏の序曲とタイトルがあるように、3人それぞれの新たな1歩を踏み出した序曲が奏でられ、サーカスの幕が今宵も上がる。
いやあ短いながら色んな事が詰まった作品です。
テレビなんかもそうですが、本当に大事な事よりも流行りや瞬間的な盛り上がりに目が行きがちなメディアのあり方についても思う事が書かれてたと思うし、芸術文化の必要性や在り方についてもそこはかとなく訴求された作品でもありました。
また華やかな舞台の影にある人間の姿。
スーパーマンじゃない、一人の人として、悩むし、傷つくし、葛藤もする。一個人を神格化する事への警鐘とも見ようによってはとらえる事も。
表現者としての理想と現実みたいなのも描かれていて、最後には希望が垣間見える。暖かい話です。
人間として、本気で葛藤し、もがくイチジョウを表現する事に今回は役を頂きながら1番意識して取り組みました。
アンケートや個人的にお返事頂いた時にそれが確かに伝わったようで、安堵と歓喜でいっぱいになりました🌟
私自身も演劇ってなんて非効率的な営みなんだろうって時々考えます。
でも理屈じゃ推し量れない、力があります。
勇気を与えてくれたり、一考させられたり、愛に溢れていたり…
効率的で便利なものが全てじゃない。
だからこそ演劇が音楽が今尚廃れない理由なんだと私は思います。
また、演劇の方が音楽に、音楽の方が演劇に、相互に作用し合い、客層もそうなっていたので、このセッションは意義ある事だと思いますし、携われて感謝でした!
まあ、色々と理屈並べましたが、
鳴り響く拍手と歓声、そうこれが…これが好きだったんだ!
劇中のイチジョウのラストのセリフ。
カーテンコールの拍手で久々に涙出そうになりました(๑ ᵒ̴̶̷̥́ ^ ᵒ̴̶̷̣̥̀ ๑)
こういうのがあるから続ける事ができる。
やめられない(笑)
広島にわざわざ山口からやってきて、何処の馬の骨とも知らぬ奴らと組んで一旗あげようって凄いモチベーションですよね!しかも生演奏とのコラボ!感心させられましたね✩.*˚
また新しい形や可能性が提示出来たんじゃないですかね。色んな拡がりがもっと出来て、広島、山口の演劇が活性化されたらと思います。
この非効率的な熱苦しい営みが、少なからず誰かの心に寄り添っていくものと信じていきたいです。